幾星霜

わたしのため、書き置き

邦画【グーグーだって猫である】2016.11.12 チャンネルNECO

先週の土曜日、お昼に起きてチャンネルNECOでをつけたらたまたま放映されていて、流れで完走。たぶん3度目。

 

グーグーだって猫であるは吉祥寺に住む漫画家の麻子先生(小泉今日子)をとりまく人と猫の日常を描いた「ゆったり時間が流れる中で少しずつ変化する日常」系の邦画です。

 

こういう邦画の中で流れる時間の経過はどんなシーンでも休日の昼下がりみたいな気分にさせてくれるので好きです。特にこの映画は舞台が吉祥寺なため東京であるのに井の頭公園や少し懐かしい商店街のようなシーンが多くとてもゆったりした印象を受けます。経験したことのないストーリーなのにこれが日常だと感じるのってなんでか不思議。

 

トーリーの良さもさることながら、なんといっても猫のグーグーがかわいい!

さらにそれを可愛がる麻子先生のアシスタント達の癒されてる姿にさらに癒されます。

森三中上野樹里が麻子先生を純粋に慕う姿は見ていて安心感があるというか、マウントを取ったり見栄を張ったり悪意のあるコミュニケーションはひとつもないので構えずに見れますね。

 

麻子先生の恋愛だったり病気だったり人生の様々な事象が起こる中で、どれかひとつにウエイトが偏ってないところもわたしがこの映画を好きな理由のひとつです。

 

過去の恋愛にどぎまぎする麻子先生も、留学を考え人間関係が変わっていく上野樹里ちゃんも、森三中の三人も、みんな自分の人生を生きてる"当事者"で、すごく良い。

 

 

自分の人生を生きるのに疲れた時に、他人を覗いてみるのもいいかも知れません。そんな為の映画です。

 

 

邦画【ゆれる】2016.10.14テレビ大阪

西川美和監督作品「ゆれる」(2006年)

 

たまたまテレビ大阪が夜中に放映してたのを付けてたら目が離せなくなり完走…

 

あらすじ

ストーリーは主人公である猛とその兄・稔が母親の葬式で再開するところから始まります。
猛は東京で写真家の仕事をしながら気ままに暮らし、反対に稔は上京することなく実家のガソリンスタンドを継ぎ父の世話や田舎の古く冷たい慣習に雁字搦めになりながらも現状を受け入れ生きる日々。


そんな中猛は久しぶりに実家に帰りどこかぎこちない兄や閉鎖的な田舎の空気を味わいながらも変わりなく過ごしていました。
ところが、話は猛と稔そして猛の元恋人であり稔の想い人である智恵子の3人が渓谷に遊びに行く所から一変します。


猛が草花の写真を撮っていると叫び声が聞こえ、稔と智恵子が吊り橋の上で揉めているのを見ます。次の瞬間、智恵子は吊り橋から転落し川に流され死亡。
そこから兄弟はこの事件をどうするか葛藤し、稔は「智恵子を殺したのは自分だ。」と自首。裁判にかけられます。猛は必死に兄を助けようとするものの、この事件が吊り橋のシーンだけに起因するものではなくずっと押し込められてきた兄弟同士のヒエラルキーや田舎に縛られる業の闇が絡み合っているものだと少しずつ気づくようになり…

最後の方は…見てください!笑

 

 

感想とか考察とか

奪う方の奪う罪悪感、

奪われる側の「自分は被害者である」という安心感。

吊り橋の上の事件がある前と後では兄弟間の生きやすさが逆転してたよつな印象を強く受けた。

 

この一連の事件を通して、お兄ちゃんはこれで良かったって思ってるんだろう。

幼馴染を殺してしまったことにたいする罪の意識と、どうしようもなく単調な人生に分岐点が現れたというワクワクが無意識のうちに共存してるように見えた。

お兄ちゃんはやっぱり優しい人で、だからこそ故郷を憎む気持ちに折り合いがつけれていなかった。だからこの殺人、投獄はお兄ちゃんの"ここからでたい、冷たく閉鎖的な田舎で人生を終えたくない"という願いを叶えるためのぴったり装置として機能したのではないだろうか。
だからこそ最後のバス停でのお兄ちゃんの笑顔がある。

田舎で人生を終えるということは、自分の可能性を殺すということ。生きているのにじわじわ自殺しているようなものじゃないかな。
弟はそれに気づいていて、自分が東京に出ることで兄にそれを押し付けているかもしれない『兄の人生を奪ってしまっている可能性』の罪悪感に恐怖しそれを否定したいという思いから兄を無罪にしようと奔走していたように私は感じた。

狭い田舎で前科者なんて、居られなくなるのはきっとお兄ちゃんも弟も分かってるはずだもんね。だからお兄ちゃんが罪を自ら受け入れること=田舎から出たがってる・出るきっかけを欲してるということになるんじゃないかな。途中から弟が兄を救わず投獄することにしたらへんは寝ぼけてたからもっかい見て考えたい…。

 

結局さ、お兄ちゃんは智恵子のこと殺してよかったんだよ。自分が田舎に残らなきゃいけない理由のひとつでもあったし。
というか、『残らなきゃと思い込むため装置のひとつ』だったんじゃない?
それと同時に君のために残ってあげてるんだという気持ちがあったから、彼女の拒絶を拒絶したんじゃないかなあ。
だから、君のために田舎に残った自分よりも東京で好き勝手してる弟を選んだ彼女を許せなかった。

 

結末を知った上で冒頭シーンを再度見ると、なんとも新しい考察というか想像ができて楽しいね。
葬式のシーンとか一触即発の父と弟の仲を取り持とうとしたり、稔の平和主義かつ事勿れ主義的な性格が垣間見え流と思っていたけどもしかしたらお兄ちゃんは『実家に残る長男』の役割演技に徹してただけじゃないの?役割演技を全うすることで正しいと信じきれてない自分の今の人生を肯定しようとしていたんじゃないの?とかね。

 

物語は本当にお兄ちゃんが智恵子を殺したのか、あの時吊り橋の上では何が起こっていたのかを主題に進んでいくけどほんとはそんな事どうでもよくって、その状況を作り出した環境と兄弟2人の生き方がテーマなんじゃないかなと思いました。

 

すごく面白かった。
田舎ヘイト系の日本の作品ってやっぱりいいよね…おらこんな村いやだ〜東京に出るだ〜!

 

余談だけどわたしはこの田舎暮らしで人生を諦めざるをえなかった人間の狂気系の話なら劇団鹿殺しがピカイチだと思う!!

兄弟間の嫉妬もだしさ、丸尾丸一郎さんの描く閉鎖的な田舎と田舎を受け入れたと思い込みたくてもコンプレックスと諦められない気持ちがグツグツ煮えてる人達の物語が大好き。田舎が息苦しくて、生まれ順や場所のせいで自分の人生を諦めなきゃいけなかったマグマみたいな感情を抑えながら穏やかなフリしてるの、はーむりみ。

劇団鹿殺しにはこういうのまたやってほしいな…ベルゼブブ兄弟とか山犬とか彼女の起源みたいなやつ。

 

なんにせよ、生まれた土地と家族は選べないから。重く苦しいものを受け入れるか拒絶するか人それぞれだしそのそれぞれに大きなドラマのあるテーマだと思う。私は好きです。

【自分語り】好きなものを共有したくない

わたし基本的に自分のほんとに好きなものを誰かと一緒に楽しむのって嫌いなんですよ。だって温度差とかあるじゃないですか、同じもの好きだったとしてもそれを楽しむ温度はそれぞれ違うし、その温度差で相手が高ければ自分は冷めちゃうし相手が低ければ気を使って楽しむどころではなくなる。


誰かと一緒に楽しめるものだってあるけど、それはもうコンテンツとしては楽しみ尽くして、味わい尽くした次のステップとして「共有」という楽しみ方の段階にたどり着いただけであっていまそのものに熱を上げて楽しんでるのを共有しているわけではないんじゃないですかね。
だから私は好きになったものを誰かに教えたくないし、教える相手は適度に自分とは好みがズレた相手にしてます。というか、仲の良い数人は昔好きだったものや経てきた歓喜を共有していて現在進行形でハマっているものは違うみたいな子達ばっかりです。


これが、なんとなく同担拒否に繋がる部分もあるのかなって私は思います。
自分の楽しみ方だけを、自分の世界の中だけで楽しみたいから他人がいるだけで純粋にコンテンツを追えなくなるしそれが嫌。その「他人」にはコンテンツの発信者も含まれていて、たとえば俳優やアイドル、作家の握手だったりサインだったり、接触系のイベントがこわいのは「私」と「作品」という2人だけの関係・世界に作者という他人、しかも他人の中でも作品に絶対的な権力を持つ神のような存在が介入してくることで乱されるのを恐れている表れなのかなとも思ってます。

 

こんなことを言いながらも好きな作品を想像した作者のことは大抵好きになるので、他人の介入を恐れるわたしを会いたい接触したいミーハーな私が殴り飛ばしてイベント参加しちゃうんですけどね。

ドラマ【遺産相続弁護士 柿崎真一】読売テレビ2016夏

遺産相続弁護士柿崎真一、けっこう面白かったなあ。


脚本はどちらかというとオモシロクない方なんだけど、会話のテンポの良さが見てて気持ちが良くてクセになる。

それに加えて音楽とセット、衣装もすごく良かった。三上博史のベージュのスーツ、ベスト姿は色気と紳士さと胡散臭さが合わさって凄くお似合いでした。


ハナちゃんの衣装なんて毎回かわいくて、60年代風レトロなワンピースにアクセサリー、ヒール、髪型何から何まで好みで見ながら悶え死にそうになってた。MILKの葡萄の神話ワンピもだし、ログワンピにエナメルパンプス、ソックスの組み合わせは最高やね。衣装さん?スタイリストさん?にこういうコーデだけの本出して欲しい…

 

こういった私立探偵もの(ここでは弁護士)ワクワクしていいね。好き。

それに、なにより柿崎真一のキャラクターがまあかっこいい。三上博史さんはこういう飄々とした掴み所のない役が似合うね、こわいのも良いけど。

 

豊原さんは相変わらず色っぽくて少し悪そうなダンディズムがもう…もう…わたし本当に大好きな相手に対しては語彙力無くすから上手く言えないけど、十文字疾風超えました。十文字疾風を超えました!!!!!!!!
サスペンダー、オーダーメイドのスーツが毎回ビシッと決まってて最高でした。シャツもストライプだったり可愛いのが多くてそれに合わせたネクタイがいつも粋でかっこよかった…
白いネクタイがあんなに似合う人豊原さんだけだよ!あのブルーのサングラスがあんなに似合うのも豊原さんだけ!!肩がけのジャケットとサスペンダーの隙間があんっっっなにセクシーなのも!!!豊原さん!!!だけ!!!!

 

はーかっこよかった…華ちゃんとちょっとアヤシイ距離感なのもみててドキドキした…あんなかっこいいダンディなお兄さんいたら周りの男の子なんて視界に入らなくなっちゃう。 

豊原さん本当に好きやー…これから毎週見られなくなるって考えるとツライ。
DVDbox買うしかない…ということでDVD出るらしいよ。2万かあ…ドラマなら濱マイクか大川端探偵社のDVDboxがほしい…。その時の私のお財布事情に任せます。

 

総括すると、一話完結でキャラクターもストーリーのテンポも衣装も音楽もめっちゃかっこいい今期一番好きなドラマでした!!毎話オチがどれもいい話風でそれだけがあんまりすきじゃなかったけど。

こういうドラマがワンシーズンに1つは欲しいなあ。

 

余談だけど、最終話。
柿崎先生の「死んだふり」演出はちょーっと悪趣味かなって思いました。ほんとに母親に死なれた娘の前で父親が死んだふりはハードすぎるでしょ。しかも祖母が撃って。
和解したみたいでよかったけどさ。

娘のミナミちゃん役の鈴木梨央ちゃん、まーーーー可愛いね。可愛い。いい子役さん。
前の前の回はゲストやましげさんだったね、録画し忘れてゼミ合宿の行きの電車の中ひとりGYAO!で見てました。やましげさん最近ヒゲはえてるのなんでや〜可愛いけどwなんかの役??最近追えてないからわからない、、

f:id:JillGall:20160923021433j:image(今週のドラGO!でヒゲをいじられたやましげさん)


あとひとつ。
なんとなく気になって調べてみたんだけど、演出(兼監督)は"白川士さん"。ドラマの演出家さんのことはそんなに気にしたことなかったからお名前とか全然知らないんだけど、なんと『闇金ウシジマくんseason2』と『エリートヤンキー三郎』の演出もされてた方でした!!
びっくり!!やっぱり好きなのかな、どっちも私の人生に多大な影響を及ぼした大好きな作品です。これからはちょっとお名前気にして追ってみようと思います。白川士さん、覚えた。

 

柿崎真一面白かった。
スタッフの皆さんもキャストの皆さんもお疲れ様でした!
こういう作品、またみたいなあ。

【好きなヒト】冠徹弥さん vol.1

最近、好きなものに於いて点と点が繋がることがすごく多い。
それは小さな頃に好きだったものが20歳になった今好きなものと実は大きな共通点があるとか、全く関係がないと思っていた2つの今好きなものが実は繋がっていてまさにこの瞬間コラボ企画が発表されたりといったことである。

 

今年一番驚いたのは、小学生の頃に見て大好きだった実写映画版デトロイトメタルシティの劇中歌SATSUGAIの歌唱を担当しているのがなんと劇団☆新感線の音モノで活躍するあのTHE冠・冠徹弥さんだったことだ。


私は小学校高学年の頃に初めて映画版デトロイトメタルシティを見て以来中学を卒業する時期までカラオケで必ずと言っていい程毎回本気を出してSATSUGAIを歌っていた。高校生になってからはこの歌詞が同行者を引かせることに気づき一人の時以外は歌はないようにしたものの、ずっと好きな曲のひとつである。
SATSUGAIをはじめ、スラッシュキラーやグロテスクが入ったアルバム魔界遊戯をiPod nanoにいれ登下校中の地下鉄で聞いていたのはなんとも懐かしい記憶だ。
そんなSATSUGAIを私はなんの疑問も持たず、本当にヨハネ・クラウザーII世が歌っているものだと思っていた。言ってしまえばこの曲はクラウザーさんのものであることは間違いなく誰が歌っているかなど考えるという考えがそもそも無かったのだ。

 

中学を卒業したあたりからメタルと並行してテクノポップにハマり徐々にメタル音楽から離れ始めた。もちろん魔界遊戯を聞く機会も減り、DMCは昔好きだったバンドとして記憶の底に仕舞われていった。ちょうど同じ頃、通っていた高校の演劇部宛に野田秀樹さんのNODA・MAP『THE BEE』の公演チケットが届いた。成り行きで演劇部部長をしていた私はそれをきっかけに本格的に観劇にハマりだし数年後たどり着いた劇団☆新感線で、彼の歌声に再会した。

実を言うと最初は彼がヨハネ・クラウザーII世の歌声を担当した歌手だとは気が付かなかった。
ただ、彼の歌声がとても好きで、『五右衛門VS轟天』のサウンドトラックCDを今度はiPod touchに入れ特にお気に入りだった"京都炎上"を繰り返し聴いた。
『五右衛門VS轟天』の大阪公演が終わって数ヶ月経ったある日ふとこのCDだけでは物足りなくなり、彼の本職であるメタルの曲を聞こうと何気なく「冠徹弥」と検索した。そこで目にしたのがヨハネ・クラウザーII世のアテレコについての記事だった。その時私は雷に撃たれたような感覚を覚えた。ああ、好きなものからは離れられないのだ、無意識のうちに惹かれいつでも再び出会ってしまうのだと。


さらに先日冠さんのツイッターを見ているとまたあらたな発見があった。なんと、アニメ・ギャグマンガ日和のエンディングテーマを歌っていたのも彼、冠徹弥さんだったのだ。あまりの驚きに本当に目が点になったかのようだった。ギャグマンガ日和は私が小学校高学年から中学生まで学校でとても人気のあった勿論私も大好きなアニメのひとつである。こんなところでも出会っていたなんて、しかも今この時その事実を知るなんて、夢にも思っていなかった。
ここでも、好きなものからは逃れられないと強く感じた。


何度も無意識のうちに冠徹弥さんの歌声を求めていたのかもしれない、これからは彼を彼として追い求め支えるいちファンとして付いていきたいと思う。

劇団☆新感線秋興行VBBも大阪千秋楽で彼の歌声をまた聴けるのを楽しみにしている。

 

今回は、実はとても思い入れの深い大好きな歌手・冠徹弥さんについて記したが他にもこうした驚きの繋がりはまだまだある。
観劇記事の合間に少しずつ書き留めていきたい。

【自分語り】アングラに惹かれる理由

最近、闇金とか風俗とか援交、不倫、ヤクザ、暴力、みたいなテーマの作品が凄く好き。

その理由がなんとなくだけど分かったから、忘れないようにメモ書き。

 

きっと私にとってこういう世界こそいちばんのファンタジーだったんじゃないかなって今強く感じてる。
やっぱり現実世界では似たような嗜好で似たようなものが好きな人がやっぱり集まるわけで、私にとって大好きな虹色の雲やユニコーンはもう手垢の付きすぎた、私だけの世界じゃないものになってしまったんだと思う。

だからこそ本当に一人の場所が欲しくて、誰の影も気にせずのめり込めるフィクションが欲しくてアングラな世界にのめり込んでしまったんじゃないのかな。

もしかしたら、これをフィクションとして楽しめる安心感もあったのかもしれない。

でも最近普通の大学生だった友達がキャバクラで働きだしたり、消費者金融に借金のある知り合いができたりして、少しずつファンタジーが現実を侵食してきはじめてきた。

今のわたしは、これが異世界のお話だったのにじわじわ現実に混じり出してそれに気づかない間に慣れてしまいそうな自分が凄くこわい。

私は私のことを温室育ちの箱入り娘で、今立ってる場所も通ってた私立中学の教室と同じようなとこだと思ってたけど私はただ外の見えない生きやすい箱に閉じ込められてただけで、どんなファンタジーも実は側にある現実だってことをずっと知らなかった。

朝まで飲み明かしてみたり、知らない人と遊んでみたり、そういうのずっと憧れてたけど、もし手に入れたら「こんなもんか」って思ってしまいそうで、憧れは憧れのまま置いておくのも1つの道かもしれない。

そんな風に思う20歳の秋。

投稿予定の感想

*崩壊シリーズ「九条丸家の殺人事件」

*ゴーゴーボーイズゴーゴーヘブン

ヒトラー、最後の20000年 ほとんど何もない+イヌケラ大阪vol.2

野村萬斎マクベス

*映画「愛の流刑地

*映画「新宿スワン

*美術展「岡崎京子展」

 

暇ができしだい更新していきます。

映画は暇すぎて月10〜20本くらい見てるから逆にだるくなってくるやつ。