幾星霜

わたしのため、書き置き

現状維持

なんとかやっている。。。

 

6月、7月と鬱の波にのまれて欠勤していたが、

なんとか「現状維持」+「転職活動」の方向で動き出しちょっと安定している。

 

これが安定と言えるのかな。変化を求めて活動しているから全然安定してる感じない。

 

次は絶対に後悔のない職場に勤めようと思ってる。

だから、薄く長くこの状態が続くのかな。

 

早く転職先決まってほしい、引っ越したい。

 

うさにもつらい思いをさせてるなと思う。

 

早く自分の生活を取り戻したい。

八方塞がりジエンド未満

八方塞がりジエンド未満です、

【流れ】

2月 5年勤めた会社を勢いで会社辞めることを宣告

3月 退職・内定ゲット

4月 東京へ引っ越し

5月 新職場で働きだす

6月 パワハラへの違和感がピークに

6月末 適応障害で欠勤(3日目)←いまここ

 

つらい、くるしい、たすけて!!!!!!!

 

どっちに向かっても行き止まりなの!!!!明日会社に行っても行かなくても、急いで転職しても休養期間をとっても、全部ハズレの選択肢。ここはハズレ分岐の成れの果て。

 

袋小路に囲まれて、早く誰かに助けて欲しい、行動の前に絶望のワンステップが入ってテンポが乱れておかしくなる、絶望、方針、自己否定、、わたしはなんて無知だったんだ。

 

社会は初見には厳しい、だから家族や先輩の助言を得るべきで知識の継承で乗り越えられる。わたしにはなにもない、ただ運がよかった、運良くここまできてしれたからここにきて驚くことばかりに乱されている。

 

誰もわたしを根本的には助けられない、お友達から一欠片ずつだいじょうぶを集めて私がこねて大きくして船にして次の航海にでるしかない。そんな気力が今はない。

 

ただとにかくたすけてほしい、

いまここから、せめて半年前でいいから、時を戻して、

迷い、航路。

前回の日記で少しずつ快方にと書いたが、全然そんなことはなかった。

今日はひさしぶりにぐっすり寝てしまって、13時に起床。

その後も「何かをする」ということが出来なくてずっと寝ていた。

 

夕方、半年ぶりくらいにテレビを観た。

自分で選んでいない情報が流れてくるのは心地良いな。

内容はともかく。

 

その後、ディズニー+でカーズオンザロードを観て

少し気力を取り戻したので今のうちに日記を書く。

 

最近ずっと悩んでいる憧れの仕事について、断る夢を見た。

余程ストレスを感じているらしい。

 

私は漫画とか音楽とか映画とかそういったジャンルの趣味があって、

いつもそれを生業にしている人に憧れていた。

 

そこでやっと掴んだのが今手にしているチャンスだ。

ただこれはクリエイティブなものではなくて、そういうひとを支える、いわば雑務だ。

 

適職診断だったり精神科だったり占いだったり、

私自身を分析する場所ではいつもクリエイティブな仕事をするように勧められてきた。

自分の手応えとしても、そういう閃きを求められる作業の方が向いているように思う。

 

現職は広告代理店で、クリエイティブなことから営業、見積など全部やる。

そのおかげで一通りの業務は出来るようになった。

 

だからといって、「なんでも」が天職になったわけじゃない。

 

一握りのクリエイターだけが活躍する世界で私が生きていくには、

天才の小間使いになるしかないのだと思う。

目指すものも、作りたいものもないから。

 

このチャンスをものにした先人に相談をしたら、

業界から生まれる創作物も好きだし、この仕事も好きだから続いていると言っていた。

 

私は天才の小間使いを好きになる自信がない。

 

精神科の主治医にも強く止められた。

「誰かの手足となって働くのは貴方にとって楽しいことではないはずだ。ネームバリューに惑わされてはいけない。どんなに規模が小さくてもクリエイティブなポジションに就いた方が良い。貴方の経歴やスキルを知って、その上で活かしてくれるような人のもとで働きなさい。」と。

 

その通りだと思った。

 

答えは出ていた。みんなに止められた。

仕事のこともそうだし、憧れの作家について忠告も受けた。

 

どっちを選んでも後悔する気がした。

 

今もどっちともつかない。

 

ただ、私を止めた「みんな」は「私が選んでそばにいるみんな」だ。

様々な友人も、業界の人も、医者も、

みんな自分で見つけてたどり着いた人物で、

相談も私から投げかけた。

 

この助言を聞くということは、他人の言いなりになるのとは違う。

 

明日、返事をする。

私のことを心配してくれる人の知恵を借りて、

この叡智で私は私の人生を納得できるものとして進めていく。

少しずつ快方に

体調が少しずつ良くなっている。(と言っても日進月歩だが)

昨日書いたセルフネグレクトの対処法を記しておく。

 

● 食事が出来ない

 → 諦めて早めに外食する。食欲が湧いた瞬間に食べる。

 (「作る」は絶対できないと諦める、一回ちゃんと食べて動く為の活力を得る)

● 歯磨きが出来ない

 → 3ヶ月に1回歯医者に行く

 (毎日の歯磨きは諦める、帳尻あわせだけに注力する)

● お風呂に入れない

 → ×

● 片付けがわからない

 → ×

● 洗濯が出来ない(ドラム式洗濯機を持っているのに)

 → 下着とタオルだけ洗濯機にぶちこんで洗う

● 食器が洗えない(食洗機を持っているのに)

 → 食洗機の中がフルじゃなくても回す

● 生活必需の消耗品を買えない

 → 電子マネーをチャージしておいて、買うときはタダにしておく

● 食材を買えない

 → 1食材だけ買う

 

改善気味の人間が書いたライフハックだな〜と思う。

全部できない時は本当にできないから。

 

ちょっとマシになった時の軌道修正の仕方として、

また病んだ時のわたしと他の誰かの役に立てばいい。

セルフネグレクトについて、不調の記録

2日間寝込んだ。

気力の限界と、生理、そしてセルフネグレクトが原因だと思う。

 

今日は外出できたが、

すぐに右耳に膜が張ったような閉塞感の症状が出て

未だストレスに襲われていることを自覚した。

この症状は「耳管開放症」というらしい。

 

頭で認知できない分、

身体がSOSを出してくれて助かっているのかもしれないな。

 

「こんなにゆっくり休んでいて、好きなことしかしていないのに

 ストレスを感じる方がおかしい」と頭は思っている。

が、身体が「ムリ!!」と言っているんだからムリなんだろう。

根が真面目だからこそ、自分の本能は信頼したい。

(大好きなバンドのVo.野村太一さんが今配信で

 「身体的にじゃなくて、精神的に休まなきゃいけないよ」と言っていた。

 沁みる。)

 

セルフネグレクトは気が緩むとすぐ出る。

具体的な症状は以下の通りだ。

● 食事が出来ない

● 歯磨きが出来ない

● お風呂に入れない

● 片付けがわからない

● 洗濯が出来ない(ドラム式洗濯機を持っているのに)

● 食器が洗えない(食洗機を持っているのに)

 

● 生活必需の消耗品を買えない(嗜好品は買える)

● 食材を買えない(スーパーに寄っても避けてしまう)

 

原因は複雑だが、ひとつは親の口癖にあるだろう。

親から「あんたは自分のことばっかり!」と叱責されて育った。

まるで自分のことをやる・主張するのが悪事のような言い草だ。

その結果、セルフネグレクトのACが出来上がった。

 

生活必需の消耗品が買えないのも特徴的だ。

人間は生きていくために永続的に金がかかる。

病気をすれば病院にかかるし、洗濯をすれば洗剤が減る。

物だって使っていけばいずれ壊れる。

誰だってメンテナンス費が必要だ。

だが、私は病気をすれば「やめてよお!?」と言われ、

消耗品を消耗しないようきつく言いつけられた。

 

未だに洗剤やティッシュを買うのが悪いことのように感じて先延ばしにしてしまう。

今えいやっと洗剤を買った。偉すぎる。

 

生きることが迷惑をかけることのように感じてつらい。苦しい。

迷惑はかかるし金もかかるのは当然のことだ。

それを「当たり前じゃないんだからね!」と言われて育ったことの弊害が

こんなにも顕著に出ている。

 

暖かい家庭で育ってみたかった。

そうしたら自分は自分のことを当たり前に大切に出来ただろうか。

 

自分のために継続的に何かをすることが出来ない。

生きていくっていうのは、「自分のため」を「継続的」にやることだ。

私は生きながら自分で自分を罰することでバランスを取ろうとしているんだろう。

 

健気だなあ、可哀想だ。

 

自分のことを大切にするっていうのは、特別な日をたくさん作ることじゃない。

それも大事だが、

特別じゃない日も自分を生きていいと認めることだと思う。

 

時間をかければ治るだろうか。頑張りたい。いや、頑張らずに過ごしたい。

人生の岐路、決断への自信

悩みすぎてセルフネグレクトが再発した。

 

この日記を書いているのは日曜日で、金曜土曜と全くベッドから出れずに過ごした。

私は心身ともに自分の消耗に酷く鈍感だなあ。

 

疲れていたことに気づきもせず突然寝込むことが多い。

ただ、こんな風に寝込むのは休職直後以来な気がする。

 

前回の日記を書いてから今日に至るまで、怒涛の日々を過ごした。

 

人生が変わるような出来事が連続して起こった。

楽しかったが、自己コントロールの喪失感が顕著だった。

 

自己コントロール、このワードに気づくまで非常に時間がかかった。

 

「先行きが不安」とか「将来性」とか「自信のなさ」とか

そういったことが原因だと思ってたがどこかしっくりこなくて

長い時間悩んだ。

 

ただ、意識はできてなくても本能的なところでは分かっていたようで、

自己コントロールを取り戻すための行動を取ることが出来た。

 

が、相手はその欲求を理解してくれなかった。

 

俺についてくれば大丈夫、何が不安なんだ?、なにもかも君次第だ

といった具合で。

 

「この人を信頼しよう」という自己決定があった上で先を任せるのなら、

それは自己コントロールを保った行動になるだろう。

いまの私は相手を信頼する為の時間すら与えられないまま、

成り行きに翻弄されている。

 

私はどんなに忙しくても、大変でも、頑張れると思う。それが自分の決断なら。

 

気骨があると言われて嬉しかった。

憧れの、尊敬する人と仕事ができるかもしれないと思うと胸が震えた。

 

このチャンスをどう扱うか、

自分の選択に自信が持てないのがつらい。

 

今も悩んでいる。答えが見つからない。

後悔はしたくない。でもこわい。

 

この真っ暗な夜みたいな感情を、まず受け入れるところから始めようかな。

悩むと体調を崩すのも、自分のための防衛反応だと思おう。

 

自分で決めなきゃいけない。

 

時間いっぱい悩んで、自分自身に納得したい。

感動を取り戻すために

今日は意欲的に低迷した1日だった。

 

ペペロンチーノを作って食べた。

本を読んだ。

新しく入ったコミュニティに向けて挨拶をした(すぐに返信が来てびっくりした)。

 

なんやかんやと活動はしているが、基本ベッドの上で過ごした。

 

こういう日は元気が出るのを待って結局泥に沈むように過ごしてしまう。

逆に外に出てなんやかんやと活動した方が元気だ。

いや、元気だから活動できるのか。

 

休職に入ってから明日で丸2ヶ月。

自分について考えすぎて気持ちはそんなに晴れていない。

でも、「楽しい」が分かるようになった。

ライブに行って音に身を任せて踊る楽しさがやっと感じられるようになった。

まさに”感動”だ。

 

ちょうどメンタルが限界になっていた5月から最近にかけて、

スサシちゃんのライブを定期的に観ていた。

5月ラッシュボールR、カミコベ

6月ワンマン

7月梅雨将軍、新世界フェス

8月サニサー、マッドワールドオーダーvol.4

いつだって楽しかったけど、

ワンマン(休職の1週間程前)の帰り道

「本当に限界が来ている」と思ったのをよく覚えている。

ワンマンは最高の演奏と最高の構成で、

整番は悪かったのにたまたま良い場所で見れて文句なしの大満足だった。

なのに心がどこか遠い気がして、

本来感じたであろう今この瞬間にしんでもいいと思うような高揚を感じ取れない自分に対して、今まで許せなかった気持ちが諦めと受容に変わった。

「このライブを見て湧かないなら、もう休んだって良い頃だろう。」

 

梅雨将軍も新世界フェスも今月観た2つのライブも兎に角最高だった。

特にMAD WORLD ORDERは珍しい曲もたっぷりのロングセットで、休職で部屋に籠もって1人で聞いていた音楽が目の前で演奏されていることに救われるようだった。

音に身を委ねる、興奮に心がこの瞬間だけを捉える感覚を思い出した。

 

このままいけば心がまた戻ってくるだろうか。

ライブだけじゃない、芝居や映画でも、心が震える体験がしたい。

それだけを追いかけて生きてきたのだから。

 

次のライブは9月。それまでに旅行に行ったり、復職の予定もある。

少しずつ取り戻したい。