幾星霜

わたしのため、書き置き

セルフネグレクトについて、不調の記録

2日間寝込んだ。

気力の限界と、生理、そしてセルフネグレクトが原因だと思う。

 

今日は外出できたが、

すぐに右耳に膜が張ったような閉塞感の症状が出て

未だストレスに襲われていることを自覚した。

この症状は「耳管開放症」というらしい。

 

頭で認知できない分、

身体がSOSを出してくれて助かっているのかもしれないな。

 

「こんなにゆっくり休んでいて、好きなことしかしていないのに

 ストレスを感じる方がおかしい」と頭は思っている。

が、身体が「ムリ!!」と言っているんだからムリなんだろう。

根が真面目だからこそ、自分の本能は信頼したい。

(大好きなバンドのVo.野村太一さんが今配信で

 「身体的にじゃなくて、精神的に休まなきゃいけないよ」と言っていた。

 沁みる。)

 

セルフネグレクトは気が緩むとすぐ出る。

具体的な症状は以下の通りだ。

● 食事が出来ない

● 歯磨きが出来ない

● お風呂に入れない

● 片付けがわからない

● 洗濯が出来ない(ドラム式洗濯機を持っているのに)

● 食器が洗えない(食洗機を持っているのに)

 

● 生活必需の消耗品を買えない(嗜好品は買える)

● 食材を買えない(スーパーに寄っても避けてしまう)

 

原因は複雑だが、ひとつは親の口癖にあるだろう。

親から「あんたは自分のことばっかり!」と叱責されて育った。

まるで自分のことをやる・主張するのが悪事のような言い草だ。

その結果、セルフネグレクトのACが出来上がった。

 

生活必需の消耗品が買えないのも特徴的だ。

人間は生きていくために永続的に金がかかる。

病気をすれば病院にかかるし、洗濯をすれば洗剤が減る。

物だって使っていけばいずれ壊れる。

誰だってメンテナンス費が必要だ。

だが、私は病気をすれば「やめてよお!?」と言われ、

消耗品を消耗しないようきつく言いつけられた。

 

未だに洗剤やティッシュを買うのが悪いことのように感じて先延ばしにしてしまう。

今えいやっと洗剤を買った。偉すぎる。

 

生きることが迷惑をかけることのように感じてつらい。苦しい。

迷惑はかかるし金もかかるのは当然のことだ。

それを「当たり前じゃないんだからね!」と言われて育ったことの弊害が

こんなにも顕著に出ている。

 

暖かい家庭で育ってみたかった。

そうしたら自分は自分のことを当たり前に大切に出来ただろうか。

 

自分のために継続的に何かをすることが出来ない。

生きていくっていうのは、「自分のため」を「継続的」にやることだ。

私は生きながら自分で自分を罰することでバランスを取ろうとしているんだろう。

 

健気だなあ、可哀想だ。

 

自分のことを大切にするっていうのは、特別な日をたくさん作ることじゃない。

それも大事だが、

特別じゃない日も自分を生きていいと認めることだと思う。

 

時間をかければ治るだろうか。頑張りたい。いや、頑張らずに過ごしたい。